聖ヨセフの階段

アメリカ・ニューメキシコ州のサンタフェにある、オールド・サンタフェ・トレイルの町。

この町には「ロレット教会」と呼ばれる、観光名所にもなっている教会がある。観光の中心は建物の中にある、「サンタフェの奇跡」と呼ばれる螺旋(らせん)階段である。

奇跡と呼ばれるのは、螺旋階段でありながら、支柱がないことである。普通の螺旋階段であれば、それぞれの段を支える支柱が階段の中心になければならないはずであるが、この階段にはその支柱がない。

また、壁にも接していないため、見るからに弱々しい構造であり、人が乗った瞬間、バラバラに崩れ落ちてしまいそうな印象を受けるが、これが想像以上に頑丈で、写真のように多くの聖歌隊が連日乗ってもビクともしなかった。また、それぞれの材料は木の釘で接合されており、鉄の釘は一切使われていない。

このような構造は建築学上では有り得ないのだという。

造られたのは1873年ごろで、2013年現在からすれば、140年近く前である。どこからともなく現れた老人が、全て手作業で、一人でこれを作り上げたと伝えられている。
まだ現代のような電動工具や精密な測定機器のなかった時代、老人の使った道具はノコギリ、ハンマー、T定規だけだったらしい。

階段は、見事なほどに完璧なカーブを描き、全ての材料は精巧に組み合わされており、まさに芸術品と呼ぶにふさわしい。この老人が、人間離れした超技術の持ち主であったことは間違いなく、現在でも、建築関係者が多く視察に訪れている。

そして、この製作者の老人が誰であったのかは不明のままである。
通常は、こうして支柱を中心に作るのだが。

さて、どうしてこの階段が「聖ヨセフの階段」と呼ばれるのか。
1800年代。ジョン・レイミー司祭は、建築家として、若きフランス人のP・モーリーを雇い、彼に礼拝堂の設計を依頼した。
モーリーが設計した礼拝堂は、建物の後ろの部分に桟敷席(さじきせき = 床よりも一段高く作られた席。2階席)を作る予定で、この桟敷席は聖歌隊が座るための席だった。

工事は順調に進んでいたものの、ある日事件が起こった。

ジョン・レイミー司祭の甥(おい)の妻と、建築家のモーリーが不倫をしていたことが発覚したのだ。
激怒したジョン・レイミー司祭は、モーリーを公論の末、射殺してしまった。

この時点で、礼拝堂の建物自体はほとんど完成していたのだが、唯一、聖歌隊が座る予定の桟敷席(さじきせき)への階段がまだ完成していなかった。
「階段がまだ完成していなかった」というよりも、まだその部分の設計図さえ完成していなかったのだ。
果たしてモーリーがどういった階段をここにつけようとしていたのか誰にも分からない。
何人もの建築家が呼ばれ、階段の部分の設計をしてもらったが、桟敷の部分が高過ぎて、まともにつけてはあまりにも急な階段になってしまう。

かといって、普通の角度の階段をつけては、一階席の部分を大幅に削らなくてはならない。それは断じてしたくない。

一階席を削らずに、きちんとした階段が付けられないものかと、あれこれと意見が出された。中には、もう完成している桟敷の部分を壊して、もっと低い位置に桟敷を付け直してはどうかという意見もあったが、出て来る意見は、大幅な手直しが必要とされるものだったり、工事が難しいものばかりだった。

ハシゴを使って登り降りしてみてはどうかという意見もあったが、それはあまりに不格好であり、危険である。

桟敷の作り直しを望まないシスターや教会側は、考えあぐねてしまった。信仰心の篤(あつ)いシスターたちは、この時から聖ヨセフに祈りを捧げた。
作り直しをせずに、階段がつけられる建築家が現れるように、と、ひたすら祈った。

祈りが9日間続いた時、髪もヒゲも真っ白の、一人の老人が、大工道具を乗せたロバを引き連れてロレットアカデミーを訪ねてきた。

前司祭のジョン・レイミー司祭は、殺人の罪によって逮捕されているので、実質的な管理者である修道院のマザー・マグデリーナ院長が応対した。
その老人は
「こちらの礼拝堂の階段の噂を聞きました。階段をつける方法を思いつきましたので、私に任せていただけませんか?」
と申し出た。
困っていたところへこの申し出である。すぐにマグデリーナ院長は、この老人に工事をしてもらうことにした。

老人の方からは、
「材料を浸(ひた)すための桶(おけ)を二つ用意してもらえませんか?」
と、一つだけ要求が出された。言われた桶を用意し、マグデリーナ院長はこの老人にすべてを任せることにした。

そして半年の歳月をかけて階段は完成した。


段数は33段、360度2回転する構造になっており、最小限のスペースで一階席のスペースを取ることなく、芸術的とも言える階段となっていた。
全ての材料は精巧に組み合わされ、特に、曲線を描く部分のつなぎ目などは、神技とも言えるレベルで、これが本当に手作業かと思えるほどの完璧な出来栄えだった。
完成の報告を受けたマグデリーナ院長は、工事の完成と、お礼を兼ねて、老人を食事に招待しようとしたのだが、老人はこの時すでに姿を消してしまっていた。
まだ料金はおろか、材料費も払っていない状態だったので、院長は老人を探すようにいろんな人に頼んだが、老人の行方は全く掴(つか)めなかった。
そういえば工事の期間中、教会の人たちは老人と話はしていたものの、彼が誰なのか、どこに住んでいるのか、みんな知らなかった。

それにもう一つ、不思議な点をあげれば、この老人が実際に作業をしている現場を見た者が一人もいない。
実際、建物の中で作業しているのは分かっているのだが、誰か人が入って来たりすると、作業を中断したり休憩したりする。時には道具や材料を隠すような行動を取ったりして、作業現場を見られるのを嫌がっているようだった。誰かがちらっと見た限りでは、床の上に置かれていた道具はノコギリとハンマーとT定規の三つだけだったという。
院長も、このまま老人を帰すわけにはいかないと、今度は材木関係の会社を調べてもらった。必ずどこかの会社から材料を買っているはずなので、それが分かれば老人のところへ行きつくと思ったのだ。
だが、近辺の材木関係の会社では、そのような老人に販売したという事実は得られなかった。

何かの手がかりになればと、材料に使われた木の種類を、材木会社に調べてもらったが、何の木か分からないという答えが返って来た。今まで見たことがない木だという。

院長も、ニューメキシコ州全域に広告を出して探してみたが手がかりは得られず、結局、老人の行方も正体も何も分からないままとなった。

「彼は聖ヨセフだったに違いない。」

教徒の一人が言い始めた。他の教徒たちも教会の人たちも、そう考えるようになった。
現在は、後から手すりが取り付けられ、通常は使用しないが、結婚式をこの教会で挙げるとき、特別に使用が許されるそうだ。